こんにちは!
ミニマリストのうぴ子です。
少しずつ暖かい日が増えて、春を感じる季節になってきましたね。
それと同時に、憂鬱な気持ちになっている人もいるのではないでしょうか?
実は、うぴ子もミニマリストになる前は春がとても憂鬱でした。春が怖かったのです。
春が怖いのは主体的に生きていないから
春になってあたりはぽかぽかいい天気なのに、自分の心はどんより憂鬱…。
日本では春は新年度の始まりでもありますよね。学校なら新学年、そして入社など、新しいことが始まる季節です。
晴れやかな気持ちで迎えられたら、どんなにいいか…といつも悩んでいました。
春になると、周りが勢いよく変わっていくのに、自分だけが取り残されたような気持ちになって、孤独と焦りを感じていました。
その恐怖心は一体なんだったのでしょうか…?
うぴ子の問題は以下の2点でした。
・周りの変化についていけず焦燥感と孤独感
・やりたいことがわからず、目標がない
実は、その恐怖心は『自分も変わりたい』という欲求の裏返しだったのだと思います。
過去のうぴ子は主体的に生きていませんでした。ただ、時間が流れて、それに流されて年をとっていました。
だから毎年、自分が成長できていないのに、周りが変化していくのを見て、焦っていたのです。
でも、やりたいことも、目標もわからない。だから変わろうとしても、そもそもどう変われば良いのかすらわからない。
こんなジレンマを抱えていました。
そんなうぴ子が、主体的に生きるきっかけになったのが、断捨離でした。
断捨離は今必要なものを選ぶ作業
まず、断捨離とは手当たり次第にものを捨てる行為ではありません。
断捨離とは捨てることよりも、むしろ今の自分にとって必要なものを選ぶ作業です。
自分にとって、これから必要なのものはなんだろう?
と、考えてみると自然と必要ではないものがわかりますよね。
例えば学校を卒業したら、もう教科書や制服は必要ありません。
ところがうぴ子は学校を卒業した後も、制服や教科書を長い間、捨てられずにいました。
なんとなく、やり残したことがあるような気がして、捨てられなかったのです。
それは主体的に生きられなかった、学生生活への後悔の表れだったのかもしれません。
必要ではないのに捨てられないものは、自分が過去に囚われている証拠でした。
しかし、後悔してももう二度とあの頃には戻れないのです。
今、変えられるのはこれから先の未来のことだけです。
また来年も、春を憂鬱な気持ちで迎えるのか、明るい気持ちで迎えられるのかは、これからの自分にかかっています。
過去に執着して後悔するよりも、この先の未来に悔いを残さない方が、ずっと大切なのだということに、断捨離を通して気づきました。
これから先の人生を、主体的に生きるために、この春に断捨離をしてみてはいかがでしょうか?
今の自分に必要なのものはなんだろう?
と、現在にフォーカスを当てて考えてみてください。
きっと、もう春が憂鬱ではなくなるはずです。